このページは携帯用に最適化されています。
パソコン版のページはこちら
インド(ダージリン・ヒマラヤン鉄道の旅:上)

■ダージリン・ヒマラヤン鉄道の旅(上)
インド国鉄は1998年に無煙化を達成していた中、ダージリンヒマラヤン鉄道では2001年12月まで蒸気機関車が細々と生き残っていた。地元通学生のためにスクールトレイを引いていたが、2002年になるとこの機関車もとうとう火を落とした。

ニュージャルパイグリ駅構内脇では散髪屋でのんびりとひげを剃っていた爺さんがいた。
ダージリンヒマラヤン鉄道は1881年に開業した。英国人避暑地を目指すための登山鉄道で世界遺産にも登録されている。
カルカッタから北に570キロにあるニュージャルパイグリからダージリンまで、トイトレイン(おもちゃの列車)が、紅茶の畑やヒマラヤ・カンチェンジュンガを望んで避暑地のダージリンに到達する。
標高差2000メートルを約8時間もかけて登って行く。途中にはスイッチバックが5ヶ所、ループ線が3ヶ所もある。現在は蒸気機関車からディーゼル機関車に変わってしまったが、今だ乗りに来る愛好家や観光客が後をたたない。まずは麓のニュージャルパイグリ駅から中間地カルシャンまでの旅をお楽しみ下さい。
ダージリン・ヒマラヤン鉄道=610ミリ
B型=0-4-0 英国ノースブリティシュ社・シャープスチュワート社製 1889年〜1927年


接続列車の遅れを待って30分遅れでニュージャルパイグリ駅を出発。再び訪れることのない地であるが「パイグリ」や「シリグリ」とか地名だけは生涯忘れないだろうね。

シリグリ駅を出ればいよいよ上り坂が始まる。何度も土砂崩れで不通になっている区間である。

スクナ駅からは道路と供用軌道で上って行く。線路は道路よりも遥か先に敷かれていたことである。草野球に夢中な子供たちはちょうど点が入ったところ。

機関車の上には6人のスタッフが乗り込む。運転士と助手2人のほか砂まき2人、石炭を割る人1人、トイトレインを動かすのになんと人出がかかるカマだろうか。

第3スイッチバックを行く。私の前を通過するとワークショップがあるチンダリアである。

第2ループ線は見ているだけでも楽しい私のお気に入りのところ。俯瞰して見ているとまるで模型のレイアウトのようだ。

昼食タイムである。食堂車は付いてないがスタッフルームで作ったカレーを売る。車内は暖かく美味しいカレーの匂いが漂う。

中間地点のカルシャン駅が近い。名物の露店が目立ち始めてきた。お構いなし商品を線路上に広げているが遠くで汽笛が聞こえるとさっさと片づけ始める。


電子タバコで
★無理せず禁煙★

世界の蒸気機関車
都築雅人の出会いとロマンの煙情日記
©2000-2008 TSUZUKI Masato