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日本(D51:下)

■D51 (下)
デゴイチの愛称でお馴染み貨物用標準機として1115両も量産された。1960年代・私の小学生時代には総武線貨物や住まいのある津田沼駅でもデゴイチが常駐していた。駅向こうのデパートに行きたく踏切ではいつも待たされ煤煙を避けイライラしていた記憶がある。
D51は全国に配置されていたが、特に北海道夕張線では国鉄最後の貨物列車を引いたのは有名。私にとってあまり魅力ある機関車では無かったがカメラは向けている。
D51 Class (2-8-2)1936年〜戦時中 川崎 汽車 日立 日車 三菱他


中央西線 南木曾駅 D51752  1970年8月
叔父といっしょに伊那から木曽に抜ける旅をした。長いバスの旅を終えやっと南木曾駅に着く。汽車を見たとたん乗る楽しみが込み上げてきた。その叔父も今はもういない。

中央西線 木曽福島駅 D51101 1973年5月
鉄道101年記念号が名古屋からやって来た。新製12系客車を引くD51は花形そのもの、遭遇した誰もが得した気分になった。

参宮線 亀山ー下圧 D51463 1973年8月
炎天下、鈴鹿川鉄橋を無煙、無音でD51が通過した。

関西本線 加太駅 D51885 1973年8月
これからあの築堤まで歩く。ちょうど上り貨物がやってきたのでホームから記念の1枚。

山陰本線 宇田郷ー須佐 1974年8月
宇田郷駅近くの民宿の自転車を借りてこの橋までやってきた。撮影を終え自転車に戻ると鍵がない。どこかで落したようだ。仕方なく鍵を壊して返した。あの時は本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。 

山陰本線 三保三隅ー折居 D51243 1974年8月
焼けた暑い砂浜を歩くのは辛かった。泳ぎたい気持ちをぐっと我慢して貨物を待つ。

山陰本線 折居ー三保三隅 D51473 1974年8月
駅寝をして朝一番の貨物を狙いに有名撮影地に向かう。砂浜ではキャンプをしていた。朝食の焚火の煙が空腹の私を誘惑した。

日豊本線 南延岡駅 D511032 1973年8月
C61を見に機関区まで出掛けたがすでに出発したあとだった。なんのためにここまで来たのかと悔やむ。ちょうど貨物が出発するところだった。

吉都線 京町温泉 D51453 1973年8月
C55、C57と続く早朝のラッシュタイムである。夜露が残る清々しい中、D51の貨物が勢いよく通過。

吉都線 京町温泉 D511038 1973年8月
門デフもやって来た。 

吉都線 京町温泉 D511038 1973年8月
ふり返ると幻想的な光景が広がっていた。とりあえず一枚押しおいてよかった。こんな状況の絵が何度もあった。フィルムをケチって撮らない自分に腹が立つ。


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