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■8620旧国鉄蒸機を追いかけていた中高校時代、86は筑穂と南九州にわずかに残っていた。東北地方の花輪、五能線の86は気がつけば終わっていた。とても貴重な大正機がまだ健在だったのに当時はほとんど目もくれず効率のいい路線ばかり行ってしまった。今となってはどうして行かなかったのかとしきりに悔やむ。
8620 2-6-0 1914〜1922年 汽車 川崎、日立、日本車両、三菱 製造数867両 |
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筑豊本線 中間ー折尾 1973年 8月 88622 朝靄がたなびく中、折尾をめざして快走して来た。 |
筑豊本線 中間ー折尾 1973年 8月 88622 中間駅を出発した通勤通学列車。室木線への直通運転で終日88622が受け持つ。 |
よく見ると前部のナンバープレートが盗難されたらしくペンキ書きだった。がっかりした私は撮る気力を失いこの場を離れ直方に向かった。 |
湯前線(現 くま川鉄道)多良木駅 1974年11月 58654 九州地区最後の86だったのでどうしても撮りたく現地を訪れた。湯前行きはバック運転。返しの人吉行きは多良木で待った。この86が現在の「あそboy」になるなんて当時知る由もない。 |
湯前線(現 くま川鉄道) 川村 1974年11月 58654 沿線随一の撮影ポイントである。現役当時の58654の大型門デフはまるで像の耳みたい。不似合いだなと思ったのは私だけだろうか。 |
水郡線 下小川ー西金 1972年9月 68635 鉄道100年記念で水郡線に86が走った。水戸鉄道管理局の「奥久慈86号」である。日曜日、SLブーム、都心からも近いため沿線の鉄橋はマニアで大変な賑わいだった。 |
水郡線 野上原ー玉川村 1972年9月 68635 常陸大子からの返し列車。初秋、稲穂も色づきのんびりと気持ちのいい風を受け昼寝をしながら待った。しかし帰宅途中の水戸、上野までの車内は凄まじい込み合いで地獄だった。 |
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