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日本 9600・北海道
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■9600・北海道

1976年3月、私は北海道追分機関区にいた。9600の最後の任務を見届けたかった。

私が日本の現役蒸機を追っていたのはSLブームも末期の72年から4年間である。北海道のC62やD52の花形機や大型機は当に間に合わず、また南九州の大畑越えや岡山・布原の三重連等は私にとってはまさに伝説である。

あのころは有名撮影地を廻るのが精一杯。たくさんの愛好家らとカメラをも並べた。そのなかまだ細々と残っていた支線など人気のない場所を訪れるのも好きだった。とても諸先輩蒸機愛好家の方々の作品には及びません。当時、中高校生だった私なりの作品を紹介します。まずは私が最も好きだった北の9600からご覧下さい。

9600Class (2-8-0)
1913年〜
770両製造
JNR(Japan National Railway)=1067ミリ


相生線・美幌 46916 1974年12月
駅を出ると住宅地で撮影ポイントがない。民家の庭先にあった白樺を入れて撮ってみた。


湧網線・計呂地 49600 1975年4月
計呂地の有名撮影地。駅を出ると線路は大きくカーブして来る。短編成が列車をおとぎ列車にみさせる。


天北線・上音威子府 19612 1974年12月
露出を気にしながら誰一人いない線路端で待つ。薄っすらと明るくなり寂しさがとけた。


興浜北線・斜内 39628 1975年3月
灯台を入れての撮影は満足したが、後ろを振り返えるとたくさんのマニアがいた。こんなところまでよくサニークーペで来た奴がいたもんだ。


宗谷本線・抜海ー南稚内 49601 1974年12月
荒れ狂う風雪、寒さも限界に達し早く帰りたい。そんな辛い大晦日だった。


岩内線・小沢 79616 1973年3月
重装備の二つ目96はここ岩内と胆振線だけ。道内でも倶知安区96は人気があり私も大好きだった。


名寄本線・上興部ー一ノ橋 59691+49699 1974年3月
大雪のため国道からの俯瞰を諦める。線路を歩くのも困難、撮影ポイントを探しているうちやって来てしまった。


池北線・置戸ー小利別 79611 1974年12月
今日はC58が入線する予定だったがやはり96だった。後追いで狙った96の貨物列車はローカル色をみさせる。


湧網線・二見ヶ岡 69620 1974年3月
雪雲が覆い凍った網走湖は単なる雪原だった。トラ塗りの黄色はインパクトを添えた。


広尾線・愛国 19671 1975年1月
幸福行切符が流行し始めた頃、彼女に頼まれわざわざ愛国駅まで買いに来た。


湧網線・?駅 69625 1975年3月
隣りにいたファンが「何だよ、トラかぁ〜」と嘆いた。でも私は汚れたトラが意外に好きで心の中では「しめしめ」と喜んだ。


室蘭本線・追分駅構内 39679 1976年3月
96での運用もあと数時間。追分を離れる日。辛くてカメラを置いてしばし自分の目で追った。今日も普段と同じ国鉄マンらは息を合わせて入れ替え業務に性を出していた。


室蘭本線・追分駅構内 79602 1976年2月
終日まで曇りがちの天候だったが一瞬西日が指した。まさに晴れ舞台だった。私の国鉄現役蒸機、最後のベストショットである。

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©2000-2007 TSUZUKI Masato - Last Updated 2007-08-30