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■C56私は9600に継ぐ好きな機関車はC56だった。私の中学生当時は「高原のポニー」ことC56ブーム、関東から近いことから小海線や飯山線に出かけていた。また飯山線は津南に知り合いが居たせいかスキーを兼ねたびたび行っていた。次第に無煙化の並が押し寄せ、小海、大糸、飯山線とC56は火を落として行く。無煙化を完了した線区のC56は車検に余裕があるのは他区へと流れて行った。地元機を追い込んで最後の運用である。今私はそんな路線を訪れて懐かしかったり悔しかったり複雑な想い出が残る。 C56 Class(2-6-0 川崎車両 三菱行重工業製 1935年 160両製造) |
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飯山線 桑名川駅 C56131 1971年12月 連日のスキーに飽き豪雪地域を見ながら飯山に向かう。途中、桑名川で貨物との交換があった。久しぶりに晴れて気持ちがいいホームに降りた。 |
飯山線 越後田沢−越後水沢 C56130 1972年5月 信濃川を渡る鉄橋が気になっていた。越後田沢駅から線路を歩いてトンネルをくぐる。やっとたどり着いた鉄橋上に感無量。川原へ下りて待っていると糸魚川から転属したばかりの集煙装置付きがやって来た。 |
飯山線 津南進入 C56111 1972年5月 この跨線橋の上部には津南スキー場がある。正午に貨物が来るのでスキーを一時中断。猛吹雪で視界がほとんどなく失敗。桜も終盤の頃再度訪れる。越後のポニーは最後の運用に息を弾ませ寂しく駆け寄って来た。 |
飯山線 十日町駅 C56102 1972年1月 十日町から中条側へ歩いて行くと工事中の橋脚があった。何年も中断していると聞く。これが現在の北越急行線になるとは当時は知るよしもない。十日町運転支区で休息を終えた102号機が入れ替えを行い越後川口へ出発。私は急いで工事中断中の橋脚に立つ。 |
小海線 信濃川上−佐久広瀬 C56144 1972年3月 清里、野辺山は濃霧だった。貨物を追って信濃川上まで来ると霧が晴れる。小海方面から来たC56はこの先、野辺山のサミッドまで苦闘が待っている。 |
小海線 信濃川上出発 C56150 1972年3月 C56の走る路線は貨物の両数が少なく小型機関車がよく似合う。春雨の信濃川上を出発。 |
中央東線 上諏訪 C56101 1971年7月 木曽に向かう途中、上諏訪機関区へ立ち寄った。上諏訪は支線も無いのに構内ではC12やC56が動き回っていた。ゼブラ塗装に化粧中だった101号機が美しく輝いていた。 |
七尾線 穴水−能登鹿島 C56159 1973年11月 能登のC56が見たく文化祭を休んで来てしまった。つかの間の晴れた午後、穴水駅を発車して来たのは159号機。小海線でも十分撮ったカマである。滞在中、形式入り赤プレートのC56は点検休車中だった。 |
七尾線 和倉温泉 C56159 1973年11月 この地方では「弁当忘れても傘忘れるな」という言葉をよく聞く。天気雨である。私も何度となく体験した。通過中に薄日が差していたが、後ろを振り向くともう雨が降っていた。 |
三江北線 川戸 C56131 1974年7月 試験休みを利用し山陰のD51とC56を撮りに来た。正面向きの貨物を撮るため川戸まで入った。長野から流れてきた131号機にはちょっとがっかりしたが、この日の江ノ川は清麗さで美しい。でもこの後、もの凄い夕立が私を襲った。 |
三江北線 江津 C56126 鉄橋 1974年7月 朝から私の心中は暗かった。昨夜、期末試験が気になり自宅に電話を入れると「追試の呼び出しがあった」と母親が言う。し、しまった!補習授業だけは勘弁。仕方なく午後の特急「出雲」に乗り帰京。この写真を見るたびに追試の日を思い出す。 |
山野線 吉松−栗野 C56111 1973年8月 吉松機関区では大畑越えのD51は終っていた。それでも中継地として多くのカマがごろごろしていた。山野線用のC56も元気に入れ替えをしていたが、貨物を引いて来たのは長野から転属してきた111号機。せっかく南九州まで来たのに。 |
木曽福島機関区 C5694 1972年3月 D51にまじりC56も庫内にいた。大型機に囲まれ可愛さを感じる。C12と交代で隣の上松駅へ出張し材木貨車の入れ替えを行う。出庫前にローアングルで顔を狙ってみる。 |
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