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■魔のカイバル峠・パキスタン 米国同時多発テロ事件以降アフガニスタンの入国はパキスタンのペシャワールからカイバル峠を越えるのが常であった。ペシャワールとランディコタールへの鉄道は閉鎖のまま。この鉄道はお祭りやチャーター運転のだけに動くものとなっている。アフガンの復興のニュースが入る中、パキスタン国内は爆弾テロやインドとのカシミール地方の領土問題できな臭いニュースが後をたたない。英国WSのニュースでもカイバル峠が復活したと報じていたがわざわざ鉄道撮影ごときで危険度5の国を訪れる愛好家はいないだろう。 そんなカイバル峠で私も死にそうになったことがある。私は2年続けて当地を訪れた。一度目はイギリスの撮影ツアーに参加した時。二度目はその素晴らしいカイバルを見せたく翌年私がリーダーとなり日本人愛好家を集い撮影ツアーを実行した。 |
プッシュプルで急勾配を駆け登る。よくもこんなところに線路を引いたものだと実感 |
カイバル峠の鉄路は麓から800メートルのランディーコタールまで3つのスイッチバック、5つのループ線、トンネル、鉄橋を2台のHGS型蒸機がプッシュプルで過酷な山岳路線に挑む。 私は撮影ストップの指示を出すので先頭のキャブに乗り込んだ。最初はストップをかけても私のリクエストを聞いてくれない。私も運転スタッフと喧嘩である。執念の末幾度となく止まりフォトランを繰り返す。スタッフらはこんなところで止まったら登れないとぼやく。
そんな撮影を繰り返していたとき私の乗った先頭のHGSの調子が悪くなってしまった。第1スイッチバックを過ぎ第3ループトンネルに突入したところでパワーが衰えてしまった。空転を繰り返して一向に前に進まない。バンバンと燃料の重油を吹き込こんでいるが不完全燃焼である。黒煙が狭いキャブに容赦なく入ってくる。とうとうトンネル内で立ち往生してしまった。真暗の中、黒煙が容赦なくキャブに入ってくる。息ができなく苦しく気も失いそうだ。後機のHGSが頑張って押してやっと明るくなる気配を感じた。トンネルから脱出した私は放心状態である。 この1〜2分がどんなに長かったことか。顔に巻いていたタオルも真黒である。本当に生きた感じがしなかった。トンネルを出たところで降参。客車に移動した。 |
次のJamrud駅で私たちは待たせてあった車で追跡撮影に変更した。 帰国後、1週間経って鼻穴をほじるとあの時のススと油の滑りがこびりついていた。 |
もうキャブはウンザリ。機関士と記念写真を撮ったけど私の顔はやはりひきつっていた |
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©2000-2007 TSUZUKI Masato - Last Updated 2007-04-28